倉本聰とNhkの大河トラブルとは?勝海舟降板劇の真相と北の国から誕生秘話を徹底解剖
大河ドラマの現場から姿を消した倉本氏は、追手を逃れるように東京を脱出し、一時的に身を隠しました。当時のメディアには「夜逃げ」「行方不明」とセンセーショナルに書き立てられましたが、本人の胸中にあったのは、商業主義と組織の保身にまみれた東京のテレビ業界に対する激しい絶望感でした。
降板直後に手がけたドラマ『6羽のかもめ』(1974〜1975年・フジテレビ)は、テレビ業界の華やかな表舞台の裏にあるエゴや理不尽、制作陣の打算を赤裸々に描いた異色作です。大河降板という生々しい傷跡をそのまま脚本のエネルギーへと転化し、業界への痛烈な反骨精神を叩きつけた作品として今なお高く評価されています。
しかし、東京のギスギスした人間関係と視聴率競争に疲れ果てた倉本氏は、1977年、ついに生活の拠点を北海道・富良野市へと完全に移します。文明の利器に頼らず、厳しい北国の冬を生き抜く現地の人々の暮らしに触れたことが、作家としての第二の人生を拓くことになりました。
「自然の前では人間などちっぽけな存在に過ぎない」――その気付きから生まれたのが、黒板五郎と幼い純、螢の家族の歩みを描いた『北の国から』です。もしも1974年の大河ドラマトラブルが起きず、倉本氏が東京の中央ドラマ界で重用され続けていたならば、日本中を涙させたあの名作は絶対に生まれていませんでした。